墓地紹介
梅園があることでも有名なお寺
曹洞宗 宗清寺
宗清寺の歴史
現在、宗清寺のある旧中之郷村(庵原郡富士川町)は、永禄12年に甲斐の武田信玄の駿河侵攻に伴う蒲原城攻撃によって神社仏閣をはじめ民家が焼き払われてしまいました。
戦乱の時代に巻き込まれた村人は、兵火が止めば帰農してまた、村づくりに励みましたが、村人たちが心の糧とし、信仰の中心である神社仏閣の復興は未だ成し遂げられていませんでした。その30年後の慶長2年(1597年)、浄巖守清和尚が諸国巡錫の途中に中之郷村に寄り、このような状況を知り、この地に堂宇建立して仏縁を結び、衆生済度の本願を具現しようと決意し、中之郷村左衛門の土地、一反を買い求められ堂宇を建立したのが宗清寺の始まりです。
笠地蔵と梅のお寺
富士山と富士川を一望できる高台にある景色の良い、梅で有名なお寺です。境内には梅園があり、2月には約200本の梅が咲き誇り、梅祭りも行われ、毎年多くの花見客で賑います。 また、富士川町指定文化財である笠被り地蔵を祀っております。福地蔵と言われて親しまれ延命地蔵として約200年もの間、人々の信仰を集めています。
現在、宗清寺のある旧中之郷村(庵原郡富士川町)は、永禄12年に甲斐の武田信玄の駿河侵攻に伴う蒲原城攻撃によって神社仏閣をはじめ民家が焼き払われてしまいました。
戦乱の時代に巻き込まれた村人は、兵火が止めば帰農してまた、村づくりに励みましたが、村人たちが心の糧とし、信仰の中心である神社仏閣の復興は未だ成し遂げられていませんでした。その30年後の慶長2年(1597年)、浄巖守清和尚が諸国巡錫の途中に中之郷村に寄り、このような状況を知り、この地に堂宇建立して仏縁を結び、衆生済度の本願を具現しようと決意し、中之郷村左衛門の土地、一反を買い求められ堂宇を建立したのが宗清寺の始まりです。

富士山と富士川を一望できる高台にある景色の良い、梅で有名なお寺です。境内には梅園があり、2月には約200本の梅が咲き誇り、梅祭りも行われ、毎年多くの花見客で賑います。 また、富士川町指定文化財である笠被り地蔵を祀っております。福地蔵と言われて親しまれ延命地蔵として約200年もの間、人々の信仰を集めています。
所在地 | 静岡県富士市中之郷3762 |
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経営主体 | 曹洞宗 宗清寺 |
電話番号 | 0545-81-0353 |
区画数 | 15区画 |
特徴 | 旧梅園の一角に新墓地を造成しました。美しい富士山が眺められ、 眼下に駿河湾や富士川が見られます。富士山を一望できる寺として、 墓地をお求めになる方もいます。 |
区画 | 永代使用料 | 年間管理費 |
1.6m×1.7m | 450,000円 | 4,000円 |